2014年5月アーカイブ

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2010年、私がCO2のディレクター時代に、鈴木則文監督よりメッセージを頂いた。

則文監督には助成対象となる監督を選ぶ「選考委員」を、佐々木敦氏と大野敦子氏と共にお引き受け頂き、この年に選ばれたのが石原貴洋、三宅唱、小栗はるひ、田中羊一、草苅勲の5監督である。

上映展では則文監督が自ら代表作と仰っていた『文学賞殺人事件 大いなる助走』も特別上映とした。そして無料配布のパンフレットに、若き監督たちに向けてのメッセージを頂き、則文監督のサインと共に掲載した。以下その全文を転載する。




「大いなる助走者の君たちへ」

鈴木則文

誰もが大いなる助走者であった。
いつの日にか翔ぶことを夢見て映像表現の可能性に挑戦してきた君たちは、このコンクールに参加し作品を結実することによって、今、まさに〈跳躍台〉にたどり着いたのだ。
この跳躍台から、また次なる助走をつづけなければならない人は多いだろう。しかし、その先にはまた別の〈跳躍台〉が必ず待っている。
科学技術を基盤に出発した二十世紀芸術の映画は、3Dまでたどりついたが、その原点は生きとし生ける人間の物語であることは変わりない。
物語に何よりも重要なのは〈オリジナリティ〉である。
映画が誕生してまだ百年とちょっとの歳月だが、映画に代表される「映像ジャンル」ほど新しい才能を求めているジャンルはないといえるだろう。
文字表現の文学も、音響による表現の音楽も確固とした〈古典〉の権威が存在することによってステータスを保持してきたが、映像の拡野に拝跪すべき権威などないのだ。
一言でいえば新しいことはいいことなのだ。
珍しい表現はいいことなのだ。
その条件を担うのは新規参加の新人である。
誰もが新人であった。
小津も、黒澤も、ジョンフォードも、スピルバーグも、そして滝田洋二郎も、西川美和も、かっては君たちと同じ線上で苦斗していたのだ。
大いなる助走者であったのだ。
CO2という大阪の小さな〈跳躍台〉から、すでに複数の新人作家が登場したと聞く。
この小さな跳躍台から日本を、いや全世界を驚倒させる大監督が登場する日も近いであろう。俺は待ってるぜ。

〈第6回CO2映画上映展パンフレットより〉