2011年11月アーカイブ
厳しさを獲得するために何をすべきか
演劇が面白い。とは思いつつ、5月から7月は多忙であまり関西の演劇を観ていない。その代わりと言っては何だが、2つの舞台演出家の鼎談USTREAM(ネット放送)を企画した。一つは宮沢章夫(遊園地再生事業団)+上田誠(ヨーロッパ企画)+杉原邦生(KUNIO)。もう一つは筒井潤(dracom)+笠井友仁(Hmpシアターカンパニー)+伊藤拓(France_pan)。笑いを交えつつ、前組は演劇へのスタンスから震災以後の表現について、後組は大阪の演劇の低空飛行に対する嘆きが語られた。後組はネット上で録画を見る事が出来るので興味あればコチラを(http://www.ustream.tv/recorded/15481717)。■その大阪で演劇を続けるバンタムクラスステージの細川博司が作・演出を手がけたイズムプロデュース『ルルドの森』は、沢山の登場人物と複雑な物語を、巧みな空間処理と光と闇のコントラストでスピーディに捌いてみせ、加えてヒロインのキャスティングが物語の意外性へと繋がる「仕掛け」の面白さに感心した。ヒロイン以外のキャスティングも悪くはないが、役者次第でもっと高いステージに行ける気がするのに惜しい。(それは前作「ジャック・モーメント」でも思った)■本誌を主催する高田斉が企画した市川タロ(西一風)作・演出による『どこか、いつか、だれか』は、京都のアトリエ劇研が始めた「オルタナアート・セレクション」の第一弾。若い市川タロと役者たちの実験精神はどう育つか楽しみではあるが、即物性、身体性への意識の決定的な甘さを本人たちがどう思っているのかが気になる。「表現における厳しさ」(それは社会派や人生主義とは違う)をどう獲得するか?それが市川とこの企画の大きな課題だ。■関西で活動する劇団の主催者や看板俳優など男性6名を集めた、きたまり演出・振付のKIKIKIKIKIKI『ぼく』は、もし関東でこれを上演したら今更の感で迎えられるのではないか。もっと先まで行ける可能性だけを感じつつ「程よい」ところで終わってしまっている。これも「厳しさ」の獲得の失敗を感じた。しかし今「ぼくはこれくらいの事しか出来ない」という男性達の自信なさげなパフォーマンスを見ていると、震災以後の過度に「何かしなければ」という風潮に対する正しい批評(そして祈り)となっていて、胸が熱くなったのも事実だ。■関東からは、ままごと『わが星』、小林賢太郎ソロプロジェクトLIVE POTSUNEN『THE SPOT』、飴屋法水演出『おもいのまま』など、どれも表現者としての鬼気迫る瞬間があり、戦慄を覚えた。
ベスト 「ルルドの森」の細川博司の作・演出に
震災以前から、既に演劇は祈りに向かっていた
演劇の門外漢だったはずの僕は、気がつけば4月から劇場で働いていた。■バンタムクラスステージ『ジャック・モーメント』は、シカゴマフィアの重厚な叙事詩を、劇画的な台詞と鮮やかな場面転換の連続、照明と音楽のエモーションで魅了する。だが作演・細川博司の手腕に比べ、役者の身体が弱く、印象に残らない。凄く勿体ない。■例えば名古屋で観た杉原邦生率いるKUNIO『椅子』は、イヨネスコの戯曲を演出で換骨奪胎し、無意味な観客参加型パーティへと変貌させ、楽しさ以外は何も残さない。しかし役者の圧倒的な身体がクライマックスで「芝居」そのものの凄味を感じさせる点で、バンタムにはない「戦略」があった。■逆に、役者の身体の弱さを魅力に変えていたのが男肉 du Soleil「Jのとなりのオニク」。冴えない男達が汗かいてリズム感悪く一生懸命踊る姿に微笑みつつ、宮崎駿からトロンまでパクった、とにかくどーでも良いのにやたら壮大な話に、「引きこもりが1万ページのくらい書いたセカイ系小説の、その熱意に感動する」みたいな妙な感動のさせられ方を体験した。■若い劇団では、京都学生演劇祭で観たテフノロGの今後が気になる。ここまで完成された馬鹿はそういない。振り切っている馬鹿さ加減に、もはや前衛を感じた。将来を期待したい。■さてベストを。BABY-Q『私たちは眠らない』。地震や紛争で混迷する私たちの姿を、そしてこの世界の現状を、鋭利に、しかし淡々と描き出したダンスパフォーマンス。舞台上で起こった(まさにそれは起こった!)いくつかの災害のイメージは、忘れることができない。都会に立ち上がる墓標、女子高生を飲み込む巨大で禍々しい黒煙、「閉店セール」の旗を振るキャンギャル、巨大な十字架が空に浮き上がり、差別と争いが続く。そして最後、観客は「空爆」を体験する。暴力的な空爆音の衝撃に「今、これを語らなければ」という東野祥子の凄まじい気迫を感じた。■東京から来たハイバイ『投げられやすい石』と快快『SHIBAHAMA』というベクトルの違う2つの劇団は、どちらも「何故、僕たちは幸せになれないのだろうか」という前提とそこへの祈りから舞台を起こしているように見えた。その視点がある物を、今、もっと観たい。
ベスト ◎ BABY−Q『私たちは眠らない』
京都のフリーペーパー『とまる。』に寄稿した文章を転載。
これは2011年2月くらいに出た号なので、もう手に入らないかもだけど、
最新号にも連載してるので手に取って下さいね。
KEX以降の京都を予兆する
去年の秋から演劇を観始めた門外漢のレビューという事で、外の人間がどう見てるかのご参考までに。■京都ゆかりの若い作品のみを。まずFrance_pan『ありふれた生活』。これは作演の伊藤拓の表現への苦悩を「観客も一緒になって考えてくれよ!」と描く、野蛮で強引だが何故か応援したくなるドキュメンタリー。伊藤の孤独で脆弱な姿は『エヴァンゲリオン』のTV版と映画版のラストを思わせる。でも1回きりの飛び道具だし、エヴァより15年以上古い。枠外にいる二人の女性の声の質感がリアルで良かったから、照明や美術の質感も凝れば、伊藤の生身が際立つのでは?チェルフィッチュの蛍光灯とかの質感。■下鴨車窓『王様』は力作だが混乱している印象。いや『ありふれた生活』の方がとっ散らかってたが、伊藤は演出で自分が何に混乱してるかを観客に提示していた。田辺剛の演出は、迷ってるのか確信なのか観ていてモヤモヤ。天井の白い布など思わせぶりなままの要素が多い。旅芸人という設定で役者に過剰な芝居をさせる意図も曖昧。「枠」が明示されないから、枠からのズレの要素(謎とか)が観てて掴みかねる。田辺は文学的高度さを目指すあまり、演出がぶっきらぼうになってしまった印象。■その逆が伊丹で上演されたM☆3『こいのいたみ』。とにかく刺激的。開演前に観客の前にあった椅子とテーブルが、開演の派手な音楽と共に天井へ飛んで行く。「ザッツ現代演劇」な「枠」と、飛んで消える「ズレ」。下らないギャグの応酬が常に演劇に言及しており、知的で痛快だった。誤解され易い作品だが、やってる事は高度だ。内容は演出の杉原邦生が京都で手がけた演劇企画【HAPPLAY♥】に対する自分自身の回答と見た。マレビトの会やdots、木ノ下歌舞伎などの京都に縁深い役者を使い、「今、東京とは違う、京都で同世代の演劇人で出来る事とは何か?」という批評と宣言を同時に行っていた。文学の罠を避け(表現者の多くは文学コンプレックスだ)、演劇表現の中で多くを思考するべきだという姿勢に、そしてそれを僕のような演劇素人でもエンタメとして楽しめる、杉原の演出家としての手さばきと腕力に感服!面白い!
ベスト ◎ M☆3『こいのいたみ』
posted at 16:49:35